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埼玉県平和委員会 事務局長 二橋元長さん

埼玉県平和委員会 事務局長 二橋元長さん


教育は、人の可能性を引き出す、伸びるのをサポートするというようなものだ。上から教えるものでも、慣らすもの、訓練するものではない。そういう側面があるとしても、それが一義ではない。それがわたしの考え方です。

しかし、教育がどうあるべきかについて、まず、国民的コンセンサスがないのではないか。いま、社会を見ると、上になびきやすい傾向を教育が育てているのではないか。従わない場合に体罰を使うことも容認する、儀式化にも従順。

それはわたしたちの共有する土壌なのではないかと思う。というのも、平和や人権を標榜する団体においても、共通した学習方法が見られるからだ。有名なえらい人を呼んできて講演会をやって、一丁上がりというような啓発をやっている。ゼミや自学など、主体的学びを身につける、実践するものが皆無なわけではないが、少ないだろう。

そもそも労働組合は「民主主義の学校」と言われた存在だ。しかし、組織のあり方、運営の方法などを見た場合、そうと言いきれるのか。もちろん、努力しているところもある。しかし、組織の中に「通達」「支持」「動員」などがまかり通っているのではないか。

民主主義の根幹は、個の確立=主権者としての個人を育てることだ。そのためには風土そのものの変革をしていくこと。それを対置していく側の努力不足だと言える。社会や文化の持つ土壌や風土の影響から免れていない。提示しなければならないのに、替わるモデルが見いだせていない。

戦後まもなくをふりかえってみると、「青空学級」などの学びの場があった。それが消えていき、公民館や隣保館、女性センターなど、運動系のセンターでの学びが生まれ、それだけが残っていった。青年館、勤労会館、部落、障害者センターなどだ。

権力の側は、そのような民衆が怖かったのではないだろうか。民衆の側の努力はあったのだが、権力からの攻撃の元、弱体化していった。根本的には「教育とは何か?」ということについて、民主勢力の中でもコンセンサスが作りきれなかった。力不足だ。

学んだら動く、それは当たり前のことだ。学びと行動の両輪があって初めて社会教育だろう。それは生きる知恵であり、生きていく上で、自らの解放につながる。

いまは、学校教育も含めて、受動的な能力が増えるばかりの学習になっている。そこで強調されるのは、個人の達成主義であり、自己責任だ。権力の言うこと、体制側になびくことが、正否を左右する。そのような一元化された価値観の中で、成功と排除が生まれている。

一握りの人しか成功できないヒエラルキーなのだが、失敗した人も、序列化の中で「まだ、自分は良い方だ」と無力感と孤立感を抱きながらも、安心感も味わっているというようなところだろう。「まだ、まし」が心のよりどころになっている。人を輪切りにして、支配する、江戸時代の士農工商にも通じるやり方だ。部落差別の心性そのものだ。

このような構造では、より弱いものに暴力のベクトルがむく。それがいじめの構造だ。

自己責任・自立自助というが、「雇用されうる能力」「上手に働く能力」「重用される能力」だけが教え込まれ、教え込まれないものは「負ける」イコール排除される。

分断と孤立、関係の破壊。上昇志向の努力と、落ちたものに対する蔑視と落ちる恐怖によって支配されている。

戦前は、戦争という巨大な暴力の前に、「いじめ」がめだたなかっただけ。昔からある。昔は差別があからさまだったし。

教育は解放の道だったはず。戦後一瞬、そうだった。マスで教える、学ぶだけではなく、自分でも学ぶ、学びあう学習。主体は自分たち。主権者としてしあわせになる。豊かになるために、学ぶ。企業や国のためではなく。

「なぜ学ぶのか」科学技術や文化、経済は人が幸せになるためのものだ。しかし、「幸せ」のイメージがいまとても貧困になっている。安定した雇用、官僚、大企業で働くことが幸せ。体制側であることが幸せと教え込まれている。自ら主体となる学びは、「教え込まれる教育」では獲得できない。

これから取り組むべきことは、津々浦々で、主体となる学びを展開していくことだろう。解放の知恵を学ぶことだ。

政治と生活は一体なのだから、よりよい生活を考えることは、政治を考えるになるはずだ。

自分自身の実践としては「戦争展」をやっている。今年で30回目だ。出版、講演会、映画、スライドなど、多様なメディアを通した学びの方法論が、戦争体験を伝えるために、工夫されていた。しかし、もっと「からだを通して伝えられる方法が欲しかった。それが戦争展だ。展示という空間。目や耳や、疑似体験、写真や体験者の話しを通して学ぶ場にしてこれている。

若い人も来てくれているので、世代間で学びあうことができている。

しかし、戦争体験者は年々少なくなる。伝えてと受け手の間をつなぐ人、バトンランナーが必要になってきている。

語り継ぎ部。

いま、彼らの学習と教育をどうするかが課題だ。伝えてから「受け止めたあなた」が、何を伝えるか、あなたなりの想いを語ることが大切。心根。

戦争体験で伝えたいことは、「大変だったねぇ」ではなく、どう平和を作っていくか。それを自分自身の想いとしてどう語れるか。この先、いろいろな議論をし、学びながら、すすめていきたい。

とはいえ、どの団体でも平和についての学びは大事と言いながら、日々の活動の中では後回しになっていく。緊急の課題、権力の側の新たな動きへの対応などが優先されてしまう。ふだんの努力こそが大事なのに。

1970年代までは「要求していく運動」にリアリティがあった。攻めの運動だ。経済要求、生理的要求、生活的な要求は、リアルだ。「ポストの数ほど保育園を」など、スローガン、獲得目標も明確だった。

80年代以降は、支配の側が「提案」してくることに対して、「◯◯を守れ」「◯◯反対」という運動になってしまった。中曽根首相を境に、攻守が変わった気がしている。それまで獲得してきたサービスが、民間委託になり、予算をけずられ、右傾化してきている。

労働者の地位の要求が満たされ、文化的水準を高めたいという要求、そして普遍的な人権や平和を実現しようという要求へと、高まってきているはずなのだが、切羽詰まった要求から、より自覚的な、学びの結果のような要求へと段階があったのではないか。それは一律にはすすまなかった。「喰える賃金」「部長いばるな」などの運動から、人間としての質の前進とともに、運動の質も変化せざるをえない。しかし、果たして、いま「人間らしく喰えているか?」ということも問い直した方がよいように思う。

「戦うこと、そのものが悪である」抵抗権や団交権をイデオロギーとして「悪」だというイメージ操作にもはまっている。日本全体が革新列島だった時があるのだ。その牙城であった国労、日教組、公務員組合などが攻撃された。

青空学級はもうない。そういう場を作るしかない。あんな風にやろうよ、いろいろなところで。大人も子どもも、一緒に学ぼう。四世代討論ができるように。

教員一人ひとりはがんばっている。そういう個人とつながりあっていくことだろう。

戦争展があり、常設展のコラボで年に二回「ピースカレッジ」を実践している。しかし、それを実践している担い手が弱い。「学びは力・継続は力・数は力」といいながら、実際には教え込み、惰性、動員に陥っている。スカスカ。変えていかないと。そのためには後継者を育てることだが、目先の忙しさに逃げて「思想的その日暮らし」に陥っている。持続可能なと言いながら、先細り。

平和委員会は、縦線の労働組合と異なり、下から作っている。それは現場に課題があるからだ。地域の支部をつなぐ、ぶどうのふさ、クラスター型のような組織だ。中央主導の組織の場合、事務局は、上から言われたことをすべてこなす「ジョウロのネック」にあたるが、房型ポトムアップの事務局は、お互いを結びつけている茎のようなものだ。平和の課題は、現場にあるのだけれど、戦う相手は国であったり、米国であったりする。だから、連帯して全国組織を作っている。

所沢基地問題、騒音、基地被害、平和資料館の館長問題、から、歴史教育や原発の課題まで、幅広い。問題のねっこはつながっているから、連帯を依頼されたら、協力するが、現場の課題を扱うことが根っこにある。

教育は、一人ひとりの可能性を引き出すこと。そのためには一人ひとりを大切にする。
上からの押しつけや、社会の規律が絶対視され、守らせることを優先されたり、個に対する柔軟性のないやり方は、ふさわしくない。

わたしたちの側も、自覚的な主体的な学びと学びあいの場を、作り出していく必要がある。自ら学び取っていく学びの場を。


【ふとした疑問 もうちょっと考え続けるために】

二橋さんが「教員の側から、国民に教育のあるべきビジョンを共に考えようというアピールや訴えはあったのか?」と質問されました。どんな動きがあったのかなあ。

これも、今後のテーマですね。

by ead2011 | 2013-01-30 12:34 | 教育的アクティビズム